あの頃が良かった。

最悪の気分ってそう長くは続かないもんだけど、そういう気分の時はやけに長く感じられてさ、後から振り返ると最悪な気分から抜け出した時って何かきっかけがあったはずなんだよね。


「こんにちは、すごく綺麗に映りますね。びっくりした」
しゃがんで野の花を撮っていると後ろから話し掛けられる声が聞こえて、振り返るとおじさんが立ってた。で、おじさんは僕が持ってたデジカメをじっと見て感心しているようで、「あ、色々撮ってるんでよかったら見ます?」って言っておじさんにデジカメを渡してみた。おじさんは操作方法が解らなさそうだったから手取り足取り教えて、いちいち頷くおじさんが何だか可愛らしかったんだけど、目の前に一杯咲いてる草花を見ればいいんじゃないかなあ、と思った。でもさ、おじさんはやっぱり一枚一枚見る度に頷いてて、たまに褒められたりして、あー僕は素人だけど写真撮っててよかったなあ、とか思ったんだ。


今思えばそれがきっかけだったと思う。わざわざ遠くまで買いにいったダガーナイフも捨ててレンタルしてたトラックもキャンセルして、デジカメだけもって外に出たんだ。で、とある有名な写真家の人のとこに行ってさ、弟子にして下さい!って言ったんだ。今時押し掛けてどうなるって訳でもないんだろうけど、すんなり通って住み込みで働かせてもらってる。で、そこで知り合ったモデルの子とメル友になったりしてさ、気軽にトモって呼ばれたりしてて恥ずかしかったりして、今が一番楽しい。
だからさ、きっかけってのがあれば、誰でも変われると思うんだよ。



「何これ?」
「あー何か紙とペン貸してくれって言われて貸したんだけど」
「おいおい、自殺の可能性考えろよ」
「悪い、弁護士が五月蝿くってなあ」
「まあ死んでくれなかっただけマシか」
「どうするよ、これ」
「鑑識通して精神科の先生に渡しとくわ。上の了解は俺が取る」


重苦しい鉄製の扉が開く。
「加藤、取り調べの時間だ」




俺にも、きっかけさえあれば、変われたんだよ。